SMの世界とは(現代SM論)

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はじめに...

これから本ブログを読もうと考えている諸兄らはSMについてどのような印象を持っているだろうか

 

おそらく一般的に首輪のようなイメージが先行して脳内に出てくるだろう

 

実際、そのイメージは間違ってはいない

 

しかし、鞭や首輪のような身体的肉体的支配はSMに於いては半分の要素であり、精神的支配ほど重きを置く調教師は多いのである(後述する)

 

では、そもSMとは何をして、何を楽しみ、何を求めるものなのか

 

これからSMを楽しみたい人興味がある人既にSMをしているが実際何をすればいいのかわからない人、そして俺はSMを知り尽くしているぜ!と言う人も是非本ブログを読んで少しでも良いので参考にしてほしい

 

それではこれから、私の研究や経験を基に、艶麗で甘美なるSMの世界へご案内しよう

 

※あくまでしるば流のSM論であり、その他団体や人物に関わる一切の権利を侵害しないとここで明示する

 

※また、本ブログで具体的なプレイ内容や調教例を挙げる事はあまり無いので、調教内容が気になる方や相談等は直接連絡をしてくれたら逐次対応をする

 

※本ブログは犯罪行為及び暴力行為を推奨したものではない

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第1章 SMの概要

第1節 SMの歴史と現状

 日本ではS(Sadism)M(Masochism)と言うが、諸外国ではB(拘束Bontage)D(支配Dominance・訓練/躾Discipline)SMDS(服従Submission)等が主流である

 

Sadism(サディズム)は、嗜虐行為に魅入られ、何度も投獄されたフランス貴族マルキ・ド・サドの名に由来している

 

これは有名な話だろう

 

Masochism(マゾヒズム)は、苦痛を快楽に感じ、情婦の奴隷となることを望んだオーストリア作家ザッヘル・マゾッホの名に由来している

 

マゾッホってちょっと面白いっほ

 

基本的にSMとは、嗜虐側被虐側に分かれて同意の基で行う性行為(ロールプレイ)のことを指す

 

これは諸兄らも既になんとなく理解しているだろう

 

基本的に、この世界は過去よりさほど大きく発展はしてこなかったが、裏を返せば伝統に近いものがあるし、発想次第で如何様なプレイも創出出来るのがSMの素晴らしい所である(玩具・道具自体の発展は大いにあるので幅が広がったと言えばかなり広がっている)

 

発展しづらい要因としては、如何せんコミュニティが狭く、情報共有の場が少なく、且つプレイ自体にリスクを伴うことにより、漠然とした難しさが初心者から見ても分かるからだろう

 

それでも、過去と比べればネットやSMバーのような情報共有や出会いの場所が提供されたこと、そして調教師(縄師)等が動画サイトに縄等の解説動画をあげたことにより、同趣味の人間を見つけやすくなり、学習することは遥かに容易になったことは確かである(感謝)

 

しかし、それによって大いな発展を遂げ、ポピュラーな物になったということは残念ながら無い

 

まだまだニッチな分野と言えるだろう(ソフトSMが出来る玩具が多く増え、カップル等が気軽に試せるのは喜ばしいことである)

 

では、次にSMをする人々は何を求めているのか考えよう

第2節 SMの目的

 ここで少し私の話をするが、私は嗜虐側であるので、必然的に相手は被虐側になる

 

当然ながら、私は相手の死を望んでいる訳では無い

 

私の手の中で、漠然とした恐怖に興奮し、苦痛に耐え快楽に変換し、体液を撒き散らしながら惨めに許しを請う様を見たり、感じたいだけだ

 

では、被虐側はどうか

 

自分が被虐側であると自覚している人は考えて見て欲しい

 

何をしたら興奮し、何をされたら興奮するのか

 

その段階で、「きっと自分の中でこれは出来るが、これは出来ない」などと考えてしまっているのでは無いだろうか

 

実はその考えがSMの可能性を破壊してしまっている

 

AV等による先入観や視覚的情報によるインパクトの強さで選択肢を遮断してしまうのは勿体無いことだ

 

今、精飲が出来ないと思っている人も、信頼している主人の物なら喜んで飲むようになり、スパンキング等の痛みでは興奮し得ないと考えている人も、実際その状況に陥入れば溺れ酔い興奮する物である

 

そして、今嗜虐側だとしても、被虐側の方がハマる可能性は大いにあると言うのもまたSMの面白い一面である

 

私にとってSMとは、嗜虐側と被虐側がお互いを思いやり、動きで会話をし、思考を読み合い、嗜好を満たし合い、信頼関係を築くためのツールだと考えている

 

これは本ブログを作成した目的でもあるが、是非諸兄らにもSMの本質を知り、楽しんで欲しいと心の底から思っている

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第2章 SMの楽しみ方

第1節 主従関係

 では、実際にSMはどのように楽しむのが良いか

 

SMに於いて、主従関係と言うのは切って離せない要素であり、本質と言っても良い

 

さらに、冒頭では

SMに於いて精神的支配の割合が大きい

と説明したが、精神的支配は主従関係に於いてとても重要なファクターである

 

嗜虐側は被虐側を依存させ(逆もまた然り)、精神的に管理する事により主従関係を築く人達は多い

 

実際のところ、縄による拘束なども身体的支配は勿論のこと、精神的支配も大部分占めているのだ

 

また、

そして今嗜虐側だとしても、被虐側の方がハマる可能性は大いにある

と第1章第2節で述べたが、そも被虐側と言うのは我儘な生き物であり、嗜虐側は被虐側の望む事を満たす必要がある

 

それどころか、被虐側は自分が求めること以上の嗜虐を受けた時に興奮の最高潮へと達するので、嗜虐側は被虐側の想定を上回る必要があり、その為に調教内容の試行錯誤をする様は、最早奉仕する側であると言っても過言では無い

 

サドとマゾは表裏一体とはよく言ったものだが、これは真であると言えるだろう

 

実に面白い

 

閑話休題

 

つまり、主従関係のロールプレイを楽しむ事は、SMを楽しむ事と同義である

 

私個人としては、是非パートナーと相談し、様々なプレイに挑戦して欲しいと言うのが本音である

 

パートナーとのそう言った会話や事後の反省会などは愛おしい時間に違いないのだ

 

勿論、信用のおけるパートナーを作ると言うのが先んじて必要な事ではあるが…簡単な事では無い

 

SMとは、お互いに相手の事を信用し、思いやってから始めて成り立つ物である

 

これまで読んでくださった聡明な諸兄らになら分かると思うが、SMとは一朝一夕では成り立たない物と考えて欲しい

第2節 嗜虐側の責任

 SMをする上で、安全確保が一番大事な事であるのは言うまでも無い

 

特に蝋燭等々、ハードな物に手を出せば出すほど安全確保は必ず意識しなければならない

 

冗談では無く後遺症になったり、最悪の場合死に至るという事を忘れないで欲しい

 

蝋燭を用いる際は、低温だろうが高温だろうが近くに水を溜めた容器を置いて、ブルーシートなどを敷いてから行う事(蝋を落とすために振るう鞭は乙である)

 

を用いる際は、始める前にストレッチをさせたり、相手の関節を意識して縛ったり、猿腕か否かを確認したりと、リスクを最小限に止める事が必要だ

 

"これが出来ない嗜虐側は、ハードSMに手を出すべきでは無い"

 

また、セーフワードセーフムーブの設定も不可欠である

 

セーフワードセーフムーブは、被虐側が限界が来た時の危険信号を嗜虐側に出すものである

 

これはパートナーと決めるものであるが、私の例で言うと、セーフムーブは「私の身体に手で二回タップする」、セーフワードは「赤です」と設定している

 

しかし、いざとなると被虐側はセーフワードを言えないものである

 

「もっと虐められたい」「もっと苦しめられたい」と思ったり、中々言い出せる空気では無く、我慢して合図を出さずにいることが多い

 

その為、「苦しい」や「死んじゃう」等の興奮を誘う言葉では無く、敢えて「赤です」や、口枷を付けている等言葉を発せない状況でも合図が出来るように「私の身体に手で二回タップする」と設定している

 

尚、諸外国ではセーフワードは信号(RedYellow)に例えることが多く、そのリスペクトの意味を込めて「赤です」にしている

 

セーフワードセーフムーブはお互いに分かりやすいものであればなんでも良い

 

また、SMを行うときの雰囲気作りは嗜虐側の技量次第だろう

 

言葉や身体の動きでしっかりと主従関係を理解させる必要がある

 

犬の躾と同じように何度も身体や脳に教え込もう

 

初学者は手と思考が追いつかず、上手くいかないこともあるとは思うので、被虐側の皆様は優しい気持ちで見守ってあげて欲しい

第3節 嗜虐方法

 性的な事に精通した読者の皆々様の中には、「ソフトSMとハードSMの線引きはどこか」と考えたことがある人もいるだろう

 

SMに於いては、身体的肉体的責めと精神的責め道具を使う責めと使わない責め羞恥を目的とした責めと陵辱支配を目的とした責めなど、様々な手法がしばしば用いられる

 

被虐側には人それぞれ好みの責めと言うものが存在し、嗜虐側としては相手の好みを探るのも、新しい思考を植えつけたり開発をするのも楽しさの一つであると言えよう

 

では本題の「ソフトSMとハードSMの線引きはどこか」という話に戻る

 

経験則による主観と一般論が必ずしも同じとは限らないが、ハードSMはソフトSMと違い、「痛みを伴う、もしくは肉体的精神的に軽い後遺症が残る物」だと考えている

 

実のところ明文化されておらず、人により考えが異なると言うのが実際のところだ

 

なので、例えば手錠はハードだと言う人もいれば、手錠程度ソフトの内に入ると考える人もいる

 

SMとは、内容とは裏腹にその実かなり自由な物であるとよく分かるだろう

 

まず、慣れていない人は、先人の手法を模倣することから始めると良い

 

参考に出来るものはネットで探せばいくらでもあるし、慣れてくれば自分で試行錯誤しながらアイデアを産み出すことも可能

 

実際、私が金銭に自由が無かった学生の頃は、メンソレータム歯磨き粉メイクブラシわさびなど、身近な物を利用する事を思いついたものである

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第3章 私のSM

第1節 SMが取り巻く問題

 さて、ここまでは一般的なSMについて話してきたが、ここからは自己のSMに対する考え経験による持論を少し展開しようと思う

 

まず、私にとってSMとは、"切って離せないもの"である

 

赤ん坊の頃、両親の頭に己が頭を打ち付け痛がっているのを見てはキャッキャと狂喜の声をあげ、

 

園児の頃、好意を持っていた同学年の女子に泥団子を騙して食べさせたり、尻を叩いたり、噛み付いて歯型を残していた

 

と両親に聞かされた時は、「性的嗜好は環境により変わるもの」と言う考えから「生まれ持って備わっている部分もあるのかもしれない」と愕然としたものである

 

私の人生において、セックスとSMは全くの別物であり、その対象もまた別物であると認識してきた

 

周囲の人間がまともに恋愛をし、お互いにパートナーとして認識し愛を育んでいた横で、私は偽りの仮面を被り、多くの女性と性交をして性欲を満たしてきた。しかし、それによって私は半分の性欲しか満たせず、しかも相手に対しての罪悪感自分に対しての悲哀を含んだ物だったと自認している

 

それに伴い、数人の恋人とソフトSMのような性的嗜好を満たすプレイもしたが、その時は逆に全力で楽しむことが出来ず、恋人と性的嗜好を満たす対象は別になるのでは無いかと考え始めたのだ

 

これによりモラリストたる自分と性的嗜好が追い求める物とのギャップに苦しめられてきたのである

 

この悩みは10年弱続いているもので、未だに悩んでいる物であるが、結局自分の中で解法を出すまでは納得しないので、おそらくこれからも付き合って行くものなのだろう

 

未だ私もこの世界に魅入られ10年弱の若輩者である

 

いずれにしろ次のパートナーとの出会いを楽しみに待っているのだ

 

しかし、次のようにも考えたことがある

 

決して犯罪行為を擁護したり肯定するわけでは無いが(トラウマ等がある方は申し訳ない)、もし犯罪行為やそれに近しい、例えばカニバリズムペドフィリア等の異常な性的嗜好のみで興奮する人間であったならば、真に満たされる事がない地獄と共に生きる人生は虚しく、苦しく、絶望を感じていただろう

 

特殊な性的嗜好を持ち悩まされているからこそ、そう感じてしまったのだ

 

勿論、己が性的嗜好を満たすために犯罪行為に走ってはいけないし、人として最低な事である

 

不快に思った方は申し訳ない

 

再度明言しておくが、犯罪行為を擁護しているわけではないので悪しからず

第2節 ポリシー

 私なりのSMの流儀と言ったところだが、若輩者なりにいくつか決めていることがある

 

まず、SMをしている時、基本的に私は衣服を脱がないし素肌に触れさせることも余り無い

 

勿論様々な考えがあるだろうし、異論は認めるが、犬には犬の格好、奴隷には奴隷の格好、家具には家具の格好(?)、主人には主人の格好があると私は考えている

 

主人が犬と同じ格好(全裸)になり、犬に対して腰を振ることはない

 

それでは自分も犬に成り下がっているも同然である

 

それを踏まえて、私は衣服を見に纏い、犬には犬らしい格好をさせているに過ぎない

 

お互いに立場を意識したロールプレイを楽しむのであれば尚の事である

 

次に、お互いの可能性を広げる事を意識する事である

 

相手のMとしての幅や可能性を模索し、語彙を蓄え責め手を増やし調教メニューを作成し、回数を重ねる事で、発展が見込めるはずだ

 

SMはセックスとは違い、同じことの繰り返しでは無く、同じ相手と愛を深め合い信頼関係を紡ぐスポーツのような物

 

最初は敷居が高いと思われがちだが、一度ハマってしまえば魅入られ、SMの虜になることは間違いないのである

 

最後に、相手の思考を読むことだ

 

目や身体の動きから情報を仕入相手の思考を読み、相手が要求する事をしてもいいし、要求する事を敢えて外し続けるのもいいだろう

 

兎に角、様々な事を適切に試行し、相手に合致した責めを探す事だ

 

自分の手の中で相手の脳と子宮を掌握する快感は、一度味わえばオーガズムを超えるものだ

 

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おわりに...

   ここまで読んでいただけたのであれば、SMについて興味が湧き、更には読む前よりイメージが深まった事だろう(と期待している)

 

昨今、SMとは呼べないような物が目立つように見え、多くの人が悪い意味で勘違いをしている様を見て非常に悲しく思っている

 

縄を用いているからSM、相手を虐げているからSM

 

そう言うことではない

 

当たり前だが、SMとは一人で行うものでなく、相手がいることをしっかりと理解して欲しいと思い、このブログを立ち上げるに至った

 

また、非常に申し訳ないことではあるが、著者である私がサディストの端くれである為、若干内容や思考が嗜虐側に偏ってしまっているのを改めて謝罪させていただく

 

被虐側に言いたいことは、「なるべく相手を信頼して身体を委ねてほしい」ということだ

 

緊張によるこわばりで、縛る際に歪みが出てしまうことがある

 

少しの緊張と興奮で嗜虐を素直に受け止めよう

 

まだまだ論じたい事や共有したい事は多くあるが、それは後々追記するものとして一旦筆を置く事にする

 

少し長くなってしまったが、お付き合いいただきありがとう

 

SMに限らず、諸兄らの日々に彩が増えん事を願って

 

 

 

 

しるば

Twitter:@Sylva9649

 

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SMの世界とは(現代SM論)ver1.0(2020/08/15)

追記: